現代的意義 [民族・社会・生活]
現代においては、人類は個々の国家という政治的枠組みによって、大分割されているともいえる。
国民(ネイション nation)を、このような国家の成員と規定すれば、それはおのずから政治的ニュアンスの濃厚な社会範疇であるということになる。
しかし、独立国家の枠組みの下に国民形成が進行し、国語や国民文化あるいは国民意識とかいえるものが創出されるようになると、国民が民族の様相を帯びるようになり、実際、同義的に認識されるような例は少なくない。
もちろん、民族と国民とは、今日の世界の現実を把握するためには、原理上、峻別(しゅんべつ)しなければならない。
なぜなら、さまざまな歴史的状況や社会体制とも絡んで、民族の境界と近代国家の境界とは一致しないことが普通であり、また、単一国家のなかに多数の民族が共存する事例は非常に多いからである。
いわゆる複合民族国家においては、特定の民族集団(エスニック・グループ)と、普通は文化的に異質ながら、それを包摂する全体社会(国家)との関係や、あるいはまた、国家運営の主導権を握る多数民族などと他の諸集団との関係のあり方が、当該集団にとっても、当該国家にとっても、きわめて重要な意味をもつ。
民族は、本質的に民族範疇として存在すると考えられるが、繰り返し述べているように、これは民族自身による自覚か、あるいは、他集団による認識が契機となるものと考えられる。
しかし、民族というものが現実に活性化し、具体的に意味をもちうるのは、直接的にせよ、間接的にせよ、外部とのなんらかの関係を通じて、民族自身が自己の存在(の特殊性)、あるいは、いわば民族意識と一般によばれるものを自覚したときであることはいうまでもない。
国民(ネイション nation)を、このような国家の成員と規定すれば、それはおのずから政治的ニュアンスの濃厚な社会範疇であるということになる。
しかし、独立国家の枠組みの下に国民形成が進行し、国語や国民文化あるいは国民意識とかいえるものが創出されるようになると、国民が民族の様相を帯びるようになり、実際、同義的に認識されるような例は少なくない。
もちろん、民族と国民とは、今日の世界の現実を把握するためには、原理上、峻別(しゅんべつ)しなければならない。
なぜなら、さまざまな歴史的状況や社会体制とも絡んで、民族の境界と近代国家の境界とは一致しないことが普通であり、また、単一国家のなかに多数の民族が共存する事例は非常に多いからである。
いわゆる複合民族国家においては、特定の民族集団(エスニック・グループ)と、普通は文化的に異質ながら、それを包摂する全体社会(国家)との関係や、あるいはまた、国家運営の主導権を握る多数民族などと他の諸集団との関係のあり方が、当該集団にとっても、当該国家にとっても、きわめて重要な意味をもつ。
民族は、本質的に民族範疇として存在すると考えられるが、繰り返し述べているように、これは民族自身による自覚か、あるいは、他集団による認識が契機となるものと考えられる。
しかし、民族というものが現実に活性化し、具体的に意味をもちうるのは、直接的にせよ、間接的にせよ、外部とのなんらかの関係を通じて、民族自身が自己の存在(の特殊性)、あるいは、いわば民族意識と一般によばれるものを自覚したときであることはいうまでもない。
update:2010年01月30日
